あ す な ろ ト ー ク 集 |
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51.信なくば立たず |
秀吉の死後、朝鮮遠征での手柄を勝手に捏造し、うその報告で高く評価してもらおうとした石田三成一派。これに不服を申し立てたのが、不当に低い評価を受けた加藤清正ら秀吉ゆかりの古豪たち。この時、後に佐伯の殿様になる毛利高政が軍監目付として、事実を漏らさず記録していた日誌を証拠として、徳川家康が三成一派の不正を暴きました。この事件で三成は信用を失い、家康は天下取りの基盤をつくったのであります。 また、島津から攻められ、秀吉に助けられた大友宗麟でしたが、その息子は朝鮮で、敵の猛攻に助けを求める小西行長に対し、見て見ぬふりをして逃げ出したため、秀吉から「卑怯なる振る舞い、許し難し」と断罪され、なんと豊後の国を没収され、追放されてしまったのです。 信用で成り立っている現代の地域社会においても、我欲を満たすための不正や、都合が悪くなれば責任逃れする姿勢は、最も戒めるべきだという先人の教えは貴重ですなぁ。 今度、ケーブルテレビ佐伯の新チャンネル開設に伴って始まった、佐伯にまつわる歴史の謎解き番組「佐伯歴史なぜ旅物語」を担当することになりました。番組収録を通じ、歴史は決して過ぎ去った昔話ではなく、今を生きる私たちにとっての道しるべだと、あらためて痛感する今日この頃です。 |
平成25年5月20日 大分合同新聞 灯 |
【コメント】 自分にも嘘をつかぬこと。自分に嘘をついているのに気づかぬ人がいる? |