あ す な ろ ト ー ク 集 |
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34.われいまだ木鶏たりえず |
「われいまだ木鶏たりえず」。郷土の生んだ名横綱の双葉山が、69連勝で敗れた時の心境を語った言葉だ。「木鶏」とはいかなる敵にも動じず、徳が充実した境地を言う。「心・技・体」の相撲道を追求し、常に精進を忘れなかった。自己にむち打ち、一に稽古、二に稽古のただ稽古の一筋。待ったはしない。人気に酔わぬよう、ごまかしやはったりのない相撲を心掛けた。遠くて深い相撲の道、無限の道を目指したという。 今の時代、相撲にそこまで求めるのは酷なのかもしれない。モンゴル、ブルガリア、グルジア、ロシア、韓国からと国際化が進み、プロスポーツの一つとしてドライに金を稼ぐ対象になった。強ければ誰でも横綱になれるのだ。朝青龍と白鵬のモンゴルペアに品格のなさが目立つという。 朝青龍も当初は若さゆえに許され、変身を期待する声があった。今では「八百長疑惑」まで飛び出し、教育不行き届きの師匠・高砂親方までが批判されている。相撲は「国技」と言われてきた。なのに外国人力士の言動に振り回されるとは情けない。双葉山は平素の挙動も土俵の延長と考えた。 |
平成19年5月27日 大分合同新聞 東西南北 |
【コメント】 何をやってもこれで十分ということはない。ましてやパソコンを教えるといっても、パソコン技術のこれっぽっちもマスタで来ていない自分を恥じ入る。自慢話は止めとこう。 |