あ す な ろ ト ー ク 集 |
---|
32.叱る責任 |
生徒の側が教師を評価する「授業アンケート」の中に、ある中学生から私への痛烈な批判があった。「先生はいつも私をほめる。私はそんなあなたが大嫌いです。今日、私は宿題をやってきませんでした。授業なんてそっちのけで別のことを考えていました。それでも、あなたに当てられた簡単な質問に答えただけで、あなたは笑顔で私をほめたたえた」。「はっきりいってバカみたい。そんなに生徒にこびを売って楽しいですか。それともみんなから好かれたいのですか?他の人がどうであれ、私はそんなあなたを絶対に評価しません」。彼女のメッセージは私の胸に深く突き刺さり、自分の未熟さを心底思い知った。 「ほめて育てる」。いつからだろう。そんな言葉が声高に叫ばれるようになったのは。確かにほめるという行為は、教育において最も効果的な行為と言えよう。しかし、それが教育的効果を生む前提としては、「叱られた記憶」「失敗の記憶」がなければと思う。ほめて伸ばすことは大切だが、しかし子供たちは未熟な存在であり、必ず多くの失敗をする。子供たちの重大な失敗に対しても、よくやったねとほめるというのか。あるいは叱ることなしに責任だけを要求するのか。 私たちは幼少期から、子供たちに対して自信を持って、叱りながら育てる責任がある。そしてその中で発見した可能性の芽をほめて伸ばしてあげることこそが教育だと信じている。 |
大分合同新聞;ヤンキー先生のきょういく論-8 |
【コメント】 No.15の「笑いながら叱る」は叱る人の内面の問題だが、褒めるは叱るがあって意味をなすとは、相手に与える影響を説いていることで画期的な洞察といえよう。理屈はそうだが、ここで大きなポイントは叱る側にそれだけの人間的な魅力・力量が感じさせられるかということにある。でないと単なる説教だ。 |