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あ す な ろ ト ー ク 集
12.たたき台
 父親、あるいは父親的なものとは、例えば会社の指導者が部下に対するとき相手の出方をう
かがったり、父親が女房子供に対するとき相手の顔色をうかがったりせずに、自分自身の信念
と意見とを持って、誰よりも最初に人々の前におのれの姿を立てる者でなければならない。人
々の上に立つ者は、学校でも会社でも自らの意見、方針を述べようとするときに、卑屈な態度
で「いや、これは単なるたたき台でございますから」などと決して言ってはならない。・・・・・・
こうしたたたき台的な家庭教育をやっているのが今の父親なのです。父親は常に、家庭生活の
なかで最初の規範を示すのでなければならない。だからこそ父親は夫であり、天空なのです。
 こうした真の愛情がいまの日本の社会にはなくなってしまった。他人のために悲しんだり、
苦しんだりすることが、その人を愛することだということを忘れてしまっている。悲しみ苦し
みを避けて生きることは、自分の意識をぼんやりさせることです。
平成3年2月 (財)逓信協会 “話”;川上源太郎
【コメント】
相手の顔色をうかがったりばかりじゃだめだけど、状況次第か。でも威厳をなくしていることは事実だ。
それよりも「たたき台」のことに大いに関心がある。提案書とか何々検討書を作るときにたたき台とか、
とりあえず素案をというが、それでは本チャンは誰が作る?初めから本番を作るという気概が必要だ。